クリムゾン レイヴ10

翌日、聖鳳高校はてんやわんやの大騒ぎとなった。
朝からパトカーが何台も来て生徒に事情聴取が行われた。おかげで授業にならないと判断した学校側は午後からの休校を決定した。
「物騒よね・・。」
呟く遙に漣は渋い顔をして小さく嘆息した。
第一発見者の一人は用務員の老人だった。校内のあらゆる出入り口について鍵の開放を任されている彼は、今朝も裏門から入り、校門を開けようと朝6時半に出勤した。裏門を通り、校門のほうに中庭を抜けようとしたところで無残な矢島孝雄の飛び降り死体を発見することになる。老人が泡を食って警察に連絡をし、すぐに校長を始めとしたほかの教諭が姿を現すと今度は1年2組の女子がとりあえず入ってろと言われた教室でクラスメートの哀れな絞殺死体を目にすることになる。
かくして学校中がパニックに陥り、現在に至るという形になる。二人とも死体の状況が状況だっただけにあらぬ噂や風聞が飛び交い、事実はほんの少数の人間のみが知るところとなったが、孝雄が飛び降りたと思われる屋上から遺書が発見され、そこに振られた腹いせで殺したが慙愧の念に耐えかねて自分も死ぬと言う内容が確認された。警察の見解として、他に不審な点もないことから孝雄が恵に暴行殺人を犯し、その後自殺したと言うことで落ち着きそうな具合であった。
実際、それが表に出ている部分としては最もわかりやすい部分ではあったし、事実には違いなかった。
真実ではないにしろ。

同日昼過ぎ。葉山本家。
都内某所の純和風の邸宅に漣は脚を運んでいた。大きな門を勝手知ったるかのようにくぐり、5分ほど歩いて玄関へと到着する。呼び鈴を押すこともなくそこには若いメイドが控えていた。
「お坊ちゃま、お帰りなさいませ。」
深々と会釈をして出迎えたメイドに漣はあからさまに嫌そうな顔をするとその前をすり抜けた。
「俺は『お坊ちゃま』じゃないよ。そういう呼び方はやめてくれといってるだろう?」
だが、メイドはくすりと笑っただけで頭を上げると、漣の後に続いて中に入り、扉を閉めた。それに僅かに嘆息を返して漣は奥へと進む。
「親父は?」
「今日はこちらにはいらっしゃいません。」
「は?」
足を止めてメイドを振り返る。ここにいないのであればとんだ足労だ。ただでさえ余りこの本家には近寄りたくないというのに。
「どこだ?」
「長野にスキ−に行っておいでとお伺いしております。」
・・・この大事なときに・・。
漣は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。いつもそうだ。肝心なときに遊びに出ている。本人に言わせれば、「どんなときでも遊んでいるほどの余裕がなければ言司など務まらん」らしいが。
「・・・・じいさんは?」
気を取り直して葉山のもう一人の主のことを尋ねる。引退した身ではあるがまだまだ頼りになる存在だった。ただ・・・。
「熱海の温泉に行っておいでですが・・・。」
「そっちもかよ!?」
親子揃って遊び好きときている。思わずメイドに突っ込んでからがっくりと肩を落とすと、そこに耳によく馴染んだ涼やかな声が聞こえてきた。
「漣なの?」
「姉さん・・・。」
奥から出てきたのは大島の絞りを楚々と着こなした和装の美女。名を、犀川麗子と言い、漣の実の姉である。漣とは一回りも離れてはいるが、洋装をすれば20歳と言ってもいいほど若く見える。
「なに、旦那さんと喧嘩でもした?」
溜息とともに居間に向かいながら姉の横をすり抜けると「まさか。」とくすりと笑いながら麗子が言った。
「お父様のお供でスキーに連れて行かれてるのよ。私はお留守番。」
「母さんは?」
「お父様と一緒に決まっているでしょう?」
そうだった・・・。
結婚して20年余り過ぎていると言うのにもかかわらず父と母は仲がいい。漣があきれるほどには。だから、父が遊びに行くとなれば母がついて行かない訳がないのだ。
「どうかしたの?」
姉の問いに思い直して玄関のほうに戻りながら漣はそっけなく答えた。
「別に。くだらねーこと。」
そう。くだらない。
今更親に泣き付いて言司は務まらない。
「姉さん。バイク借りるよ。」
「いいけど壊さないでね?」
姉の言葉に片手を振って答えると、玄関から出て側のガレージに向かう。大事そうにかけられたカバーを外すと大型のバイクがその姿を現す。黒いKawasakiGPz900R。通称Ninja。姉がアメリカ留学の際に購入したもので、その後日本に持ち帰ったものだった。かなりカスタマイズされているため扱いにくいがとにかく速い。漣は躊躇なくそれに跨るとキーをまわし、エンジンをかける。爆音を轟かせ、土煙を巻き上げて出て行く将来の当主の後姿を、姉は淡い笑みとともに見送った。
「ふふ・・・。まだまだこれからなのよ。漣。」

「しかし・・・なんだか気持ち悪いよな・・・。これだけ瘴気が渦巻くと。」
「それはそうよ。言霊が導いた憎悪と絶望に満ちてる。あたしでも気色悪いわ。」
背後で聞こえる声に振り返ると、漣は渋面を作って操を見た。
「まあ、そうだろうな。」
学校の屋上。寒風吹きすさぶそこは入り口にロープが張られ、関係者以外立ち入り禁止となっている。見張りの警官はいるが他に人影はなく、チョークで×点がつけられたそこには操と漣の姿しかなかった。もちろんこの二人が関係者であるはずもなかったが、警官は一向にとがめる気配もない。
フェンス越しの景色に目を細めると、漣は風に乱れる前髪をかきあげた。
「なあ、操。」
この寒空に操は黒い皮のライダースーツの前を臍まで開けている。下着を着けている様子はなく、胸の谷間と膨らみが半ばまで露になっていた。
「できると思えばできる。いると思えばいる。それがあなたたちでしょ?」
先を読んだ操の台詞に頭を掻いて漣は苦笑を浮かべた。
「わかってるさ。」
「あたしもできる限り手伝うわよ。大丈夫。漣はいい男だもの。」
にっこりと笑って長い髪をかきあげる操に漣は苦笑を向けた。
「それ、何の根拠だよ。」
「『主人公といい男は死なず』。あたし、いい男にしか手は貸さないしね。」
にやりと笑って言う操に思わず鼻を擦って明後日の方向を見てしまう。
「俺は主人公でもいい男でもないかんな。まあ、死ぬとは思ってないけどさ。」
そう嘯いてフェンスの向こうに視線を戻した漣の感覚に僅かな不協和音が生じた。
「・・!?」
湧き出す気配に視線を向けるとそこにはあの痲桐秀隆が立っていた。黒いタートルネックのセーターに黒い帽子、ブルージーンズといういでたちである。やはり警官はそれに気づく様子もなく、屋上にはこれで侵入者が3人となった計算になる。
「・・・痲桐・・・。」
漣の鋭い眼光に秀隆はにやりと笑うとおどけたように顔の前に手を振った。
「ああ、勘違いしないでよ。あれは僕のせいじゃないから。」
「ふーん・・。じゃあ誰のせいだって?」
険悪な表情で睨みつける漣に秀隆が左手で帽子を抑えてくすりと笑う。
「さあね。僕がそこまで葉山に教えるいわれはないはずだよ。」
「・・・痲桐、お前何者だ・・?言妖・・でもない。かといって葉妖でもない。」
憎悪を食らう言妖は人間ではない。だが、目の前にいる秀隆は瘴気の澱みは言妖と変わらぬほど持ち合わせているくせに明らかに言妖のそれとは違い、肉体という器に縛られる「重さ」をその存在感の中に持っていた。言妖も憎悪を大量に食らい、年を経れば人間と寸分変わらぬ存在感を持つことは可能である。だが、秀隆のそれは明らかに言妖のものとは異質である。
漣の言葉に秀隆がおかしげに笑う。
「おやおや、葉山の次期当主にそんなことを言われるとは思わなかったなあ。」
小馬鹿にしたように唇を引き上げると帽子のつばを指の間に挟む。その様に漣は瞳を細め、視線に険を込めた。
「まさか・・・『痲桐』は言妖についたのか?」
「着くも着かないもないよ。もともと言司が何を為すべきかなんて制約は何もないんだからね。」
「馬鹿な!言妖になるぞ!」
「ならないよ。」
余裕を持った笑みを浮べる秀隆にますます漣の視線に険が篭る。
「言霊を使いこなせてこそ言司だ。君みたいに言霊に振り回されはしないさ。」
ちらりと操を見、そして漣に視線を戻す。
「好き勝手はさせない。」
「すでに昨日、間に合わなかったくせに?」
くすりと笑う秀隆の刺のこもった視線に漣の眉がぴくりと動く。
「甘いよ、葉山の。本当に止めたかったら何故斎や僕に早々に止めを刺さない?更正なんて期待してるんだったら馬鹿な話だ。そうだろう?」
唇を噛み締めて拳を握り、黙り込む漣にますます嘲るように言葉を続ける。
「もっとも・・葉山には巫女がいないらしいね?言司は巫女を得て初めて一人前だもんな。まあ、君には荷が重い仕事だったよな。」
「漣にはあたしがいるわ!」
たまりかねたように口を開いた操をふんと鼻で笑って秀隆は続ける。
「葉霊はせいぜい使い魔みたいなもんじゃないか。何を偉そうな事を言う?葉山の。せいぜい指を咥えてみてろよ。直にこの学校全体お前の不甲斐無さのせいで地獄と化す。だがお前には何もできないんだよ。何もな!」
「何が・・何が・・目的だ・・・。」
漣の震える声に秀隆は帽子を取って歪んだ笑みを浮べた。まるで、彼こそ憎悪の具現であるがごとく。
「僕は、お前が嫌いなんだ。それだけだよ。『斬』!」
秀隆の手を離れた帽子がまっすぐ漣に向かって飛ぶ。
ザクッ!
「漣!?」
グローブをしたままの左手がその帽子を受け止め、掌にそのつばを食い込ませたまま漣は激しく秀隆を睨みつけた。左手から滴り落ちる血が屋上を濡らしていくが、それに構う気配もない。
「・・痲桐・・・。この喧嘩、買うぜ。ありがたいことに、俺も、お前が嫌いだ。『疾』!」
言葉が終わるとともに漣の姿が霞み、瞬時に秀隆の目の前に移動する。左手から抜いた帽子のつばを真横に払うと鮮血が飛び、あたりを染めた。
「『斬』!」
「甘い!」
キーン!
鋭い刃と貸した帽子は甲高い音を立てて秀隆の硬質化された右手に受け止められる。
ボグゥッ!
「ぐふ・・・っ」
「漣!『止まれ!』」
漣の腹にまともに秀隆の拳がめり込んでいく。さらに追い討ちをかけようと頭を殴ろうとした鉄槌と化した右手が操の言霊に止められる。
「・・・・そうか。君は葉霊だったね。こんなやつについてないで僕のところへ来ないかい?」
いまだ右手は振り上げたまま妖しい笑みを浮べて操を見る。操は、漣に歩み寄りながら首を黙って振った。今は他の言葉を発することができない。言霊である彼女が複数の言葉を使うことができないほどに秀隆は強力な言司だった。
睨むような操の視線にふっと笑うと秀隆はその拳を下ろした。操は、それでも緊張したまま秀隆を睨みつけている。
「今日のところはこれで勘弁してあげるよ。僕が葉山のを殺したら斎が拗ねるからね。その不甲斐無い男に伝えとけよ。右手の五芒星が泣いてるぞってね。」
もっとも、今は使いたくとも使えないだろうけどさ。そう付け加えてくすりと笑うと徐々に秀隆の姿が薄れ行く。結局、秀隆がその場から姿を消してしまうまで、操は一言も口を開くことはなかった。
「そんなの・・・あんたに言われなくてもわかってるわよ・・・。」
意識を失って倒れた漣をその胸に抱え、秀隆が消えた空間に向かって操は呟くように毒づいた。
そう、自分ではものの役にも立たないなんて重々承知している。葉霊は、確かに言司に仕え、使われる役割しか持たないのだ。だからこそ葉霊は通常言司との関わりを嫌う。
だけど・・・。
漣のグローブに覆われた右手を取ってその甲に口付けた。
「あたしじゃ・・だめだけど・・・。」

「俺には本当に巫女はいないのか?親父。」
爆音を響かせて本家に帰ってくるなり、長野から帰ったばかりの親夫婦をとっ捕まえた息子を葉山要は静かに見据えた。
「お前も知っているとは思うが・・巫女は葉山分家、そして祝(いわい)、千葉、柳雅(りゅうが)。この4家から言司と同じ年に生まれた女児の中から選ばれる。ところが、お前の生まれ年に生まれた女児はこの4家に一人もいない。草木世の遙ちゃんはお前と同じ年だが、残念ながら草木世は傍家だ。」
「じゃあ、俺はずっとこのままなのか!?俺の右手は死んだままなのかよ!」
掴みかかるように問い尋ねる漣の肩に要は落ち着かせるように重く手を置く。
「そう焦るな。お前はまだ若い。急いで右手を開眼させる必要もない。」
「痲桐が裏切った上に俺の学校にいるんだよ!俺のせいで・・・みんなが危険に晒される・・。」
歯を食いしばり、唇を噛み締める息子に父の目の奥が静かに光った。
「痲桐が・・・?・・・なるほど・・・。」
「言妖が3人でも俺には手に余る。それなのにそのうち一人は言司だ。父さん、右手が必要なんだよ!」
悔しげに言う息子の口に人差し指を当てると要は首を振る。
「口に出すな。その意味はわかっているだろう?」
要の静かな言葉に漣は唇を噛み締め、がしがしと前髪を荒っぽくかきあげる。
「じいさんのところに行ってみろ。」
父の言葉に漣は怪訝そうに顔を上げた。
「熱海に?」
「熱海?」
漣の言葉に要は少々吹き出した。
「英(はなぶさ)が言ったのか?」
英とは、葉山家のメイドで、祖父である泰山(たいざん)の葉霊である。
「そうだけど?熱海の温泉だってさ。」
「言司を騙すとはけしからん葉霊だな。」
楽しげに言う要に怪訝そうな視線を向けて漣は腕を組んだ。
「どういうことだよ?」
「じいさんは今、京都の寄り合いに行っている。引退したとは言え、まだ言司の顔役だからな。場所は知ってるな?明日にでも行って来い。」
「はぁ?」
「いやあ・・じいさんもまだまだ若いなあ。」
わけがわからないという顔の漣を残し、意味不明なことを呟きながら要は夫婦の寝室に戻っていく。呆気に取られた漣はギギギ・・・と錆び付いた音でも聞こえそうなぐらいにぎこちなく首を回し、その場に控えているはずの英に恨めしげな視線を向ける。
「おい・・・言霊が嘘つくなんて重罪だぞ・・。」
すると、なぜか英は頬を紅く染めて俯きながら頷いた。
「はい。泰山様が帰っておいでになったら存分に罰を頂きます・・・。」

かーごーめかごーめー
かーごのなーかのとーりーはー・・・・
少女は童謡を途中で止めてくつりと笑った。そして、隣に立つ茶髪の少年に嬉しげな笑みを向ける。
「ねえ、いつまでたっても出られないのよね?」
謳うように尋ねる少女に少年はにっこりと微笑んで頷いた。
「そうだよ。君の思うが侭だ。」
「ふふ・・・楽しみ・・・。」
艶やかに微笑んだ。その少女を茶髪の少年が後ろから抱きしめる。
「君はこんなに綺麗だ。だから思い知らせなきゃいけないよ。君の美しさを・・。」
「そうね、そうよね・・。」
冬の星座が見下ろす校庭に蠢く二つの影は、やがて、跡形もなく姿を消した。

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