クリムゾン レイヴ6
サムイ・・・・アツイ・・・ネムイ・・・・・
ダルクテ・・モウ・・・ウゴケナイノ・・・・・・
アア・・・・ダレカ・・・・・
ギギギギ・・・・ガコッ・・・バタン
カツ・・カツ・・・カツ・・・
開かれた古い扉から僅かに山の昼の日差しが差し込む。冬のそれは弱く、とても全体を映すには至らない。しかし、青ざめた白い肌を映すのには十分だった。
「・・・・いた・・・。」
ヒールの音を響かせて歩み寄ると、少女はぐったりと横たわる裸体の側に立つ。肌は青ざめ、ぴくりとも動かない。吐き出される息も白く染まることがないほど冷え切っていた。
「『呼ばれた』から来たわ。今回はあたしの方が早かったみたいだけど。たまにあるのよね、そういうこと。」
まるで普通に待ち合わせでもしているかのごとく語りかけると、操は薄い手袋をした手を白いコートのポケットに突っ込んだ。一見して間に合わない。僅かに呼吸はあるものの、それも直に消えるだろう。操はポケットに手を突っ込んだまま真理恵を見下ろした。
「用件・・聞きましょうか?」
真理恵は何も言わない。命の炎が消えかけた人間に何かが言えるわけもない。だが、操は何かを聞き取るように黙って耳を傾け、瞳を閉じた。長いような、短いようなそんな時間。会話とも言えない。ただ、一方的にこちらが聞くのみ。
「OK。わかったわ。じゃあ、あなたが逝くまでここにいてあげる。」
操の言葉に安堵したか。真理恵の胸が大きく動いてすうっと息を大きく吐くと、それっきり命の鼓動は消え去った。
何ともあっけない。
操が頭の端にそう意識したとき、唐突に気配は生まれた。
「・・・今度はお前か。葉霊(はのみたま)。」
それまで何者の気配もなかった入り口に長身の黒コートの男が何時の間にかその存在を露にしていた。こころなしかその口調は苦いものが混じっているようでもある。
「残念ね。今逝ったわよ。」
特別感慨もなく操が軽い口調で男のほうを振り向くと一瞬男の姿が霞み、すぐに操のほんのそぐ側に現れる。操も、それを臆することなく見上げ、薄い笑みを唇に湛えた。
「また言司(ことつかさ)についているのか。巫女もおらねば葉山もあれで終いぞ?」
パン
頬に伸びてくる男の手を小気味いい音を立てて払いのけるとにやりと操が笑った。
「違うわ。漣に仕えているの。言司にも言妖(げんみょう)にも興味はないわ。」
いいながら操が一歩下がると男の秀麗な、細めの片眉が跳ね上がる。
「ふん。葉霊が使い手を選ぶか。」
馬鹿にしたような男の言に操はくすくすと笑った。
「あたし、我侭なの。」
ザッ
ジャリッ
地を蹴って男が操へと滑るように進む。その手には闇の刃。操はコートを跳ね上げるとそれを裾で受け流し、ふわりと舞うと男の肩を蹴ってとんぼをうつ。黒い髪がさらりと流れ、その後に紅い唇が笑みを醸し出すと悪戯な口調で男を嘲った。
「ばいばい、『おっさん』。ふふ・・・斎(さい)、またね。」
「疾ッ!」
言葉の終わりと同時に少女の姿が霞みだす。男が闇の刃で薙ごうが間に合わず甘い香りが残るのみ。
「・・・。」
刃をしまいこむとじっと動かなくなった裸体を眺めおろす。やがて、黙したまま踵を返すと靴音を響かせて斎は建物を後にした。
太古の昔。言葉はそれ自身に力を蓄えていた。人がそれを口にすることで力を解放し、その言葉が持つ意味通りのことを行使される。岩に「砕けよ」と言えばどんな大岩でも割れたし、地に「裂けよ」と言ったならばどんな高い山でも引き裂かれた。人はその言葉に宿る力を畏怖を込めて言霊(ことだま)と呼び、その言霊を特に扱えるものを言司(ことつかさ)と呼んで恐れ、敬った。
ところが長い歴史の中で人は言霊を操る力を失い、言霊の存在そのものを忘れ去っていった。言葉に乗せられなくなったほとんどの魂は忘れ去られるままに廃れていったがその中でも特に強い負の魂がやがて自我を持ち、人の憎悪を食らい始める。人がために言霊を操る言司に対し、その負のエネルギーの塊はいつしか言妖(げんみょう)と呼ばれるようになった。憎悪を増幅させ思いを遂げさせることで凝縮しきったそれを人を殺して食らう言妖。そして人を救うべく言妖の前に立ちはだかる言司。
遥か太古の昔より形作られた、これは永遠に絶えることのない、戦いの物語である・・・・。
「葉山君。」
呼び止められて漣は振り返った。振り返って見る間にげんなりとした顔をする。声をかけた当人である草木世遙(そもせはるか)はめげた様子もなくにっこりと微笑んだ。
「お前か。振り向いて損した。」
「そんな言い方ないじゃない。ねえねえ、我が写真部のモデルになってくれることを決意してくれた?」
「やなこった。大体『葉山君』なんてお前に呼ばれると気色悪い。」
「いいじゃない。たまには気分変えて。」
即座に返される返事にもめげずに遙は漣に張り付く。遙はそもそも漣の幼馴染なのだが、高校に入ってから入部した写真部に入れ上げていて、先輩から頼まれたとかで漣にしつこく絡んで来る。
良かれ悪かれ漣と言う存在はこの学校の中では目立つ。180センチと身長はやや高めで、どちらかと言うと幼さの残る甘い顔立ちが女子の人気の的だったし、斜に構えた態度が世の男性諸君からは不評だった。成績もそこそこいいくせによく学校から姿を消すのでミステリアスさ加減も手伝ってますます気になる存在なわけである。
・・・俺・・そんなに目立っちゃまずいんだけど・・・。
半ば頭を抱えるようにしながら黒いダッフルコートの前を掻き合わせ、黒いマフラーに顔を埋めるようにして早足で歩く。漣が通う高校は私立の私服校である。主に黒を好んで着る漣は制服がある公立校でも一向に構わなかったのだが、諸般の事情によりこの高校に通っている。で、当然のごとく遙も追っかけてきたわけだ。
「ねえ、ねえ。モデルやってくれたらデートしてあげるからぁ。」
冗談めかして言いながら漣の腕に腕を回す遙にげんなりとして漣は立ち止まった。背中までの緩やかなパーマをかけた茶髪にすっきりとした小顔。二重の目は大きく、鼻と唇はすっきりと納まっている。どうして遙もなかなかに美少女なので二人並べばお似合いのカップルなのだが、漣にそのつもりは全くない。
「あ、の、なあ!俺が毎日毎日帰り道デートしてやってるだろうが。俺の方がデート代貰いたいぐれえだよ!」
「そんな細かいこと言ってたらもてないぞぉ?」
けらけらと笑う遙に漣の言葉は蛙の面に何とかで全く効果がある様子はない。ぐったりとしながらも漣は諦めて歩き出した。
・・・ん?
ふと、何かの違和感を覚えて立ち止まる。
「どうしたの?」
遙の疑問にも答えないまま周囲を見回し、ふと、ある一点に視線が止まる。
「遙、あれは?」
漣の視線の先には見慣れない国産車。その側で教頭と話している細身の男がいた。全身黒ずくめだが、愛想よさげに笑いながらぺこぺこと頭を下げている。写真部は通称ゴシップ部とも呼ばれている。情報を得るには遙はうってつけの存在なのだ。
「あれ?えーとね。来月から産休の皆瀬先生の代わりの古文の先生だったと思う。たしか・・・黒葉先生だったかな・・・?」
「ふーん・・・。」
曖昧に頷くと漣は再び歩き出した。違和感の正体はまだつかめない。確定要素がないのに動くのは危険だとの祖父の言葉を思い出す。
・・・まだ、動けないな。
最後にちらりと一瞥くれた漣に、男がこちらを見て笑ったような気がした。
「どうしよう・・・。」
めがねをかけた男がいかにも動揺したように呟くのを聞きながら東は手にした新聞をテーブルの上に放り投げた。
「大丈夫だ。証拠は一切残してないだろ。」
そう言いながらもいらいらが募る。
「でもさ・・。発見されるの、かなり早くねえか?しかもたれこみじゃん?」
そうなのだ。地道に調べて、今は誰も使っていない、そして管理者すらも年に一度しか訪れていないような、それでいて他のだれもそんなところに倉庫があるなんて思いつかないような場所をわざわざ選んで真理恵を拉致し、殺したのである。管理者がふらりとやってくることも、ましてや他の誰かがやってきてたれこむことなどもありえないことだった。周囲50kmに民家がないというのは、嘘でも誇張でもなんでもないのだった。
東達はあの日、夜通し弄り倒した後、すでに凍えて動けなくなりつつあった真理恵に薬を嗅がせて全裸のまま放置したのである。すぐに凍死してしまうであろうことも、春にならないと発見されそうにないことも全て見越した上でのことであった。証拠は残していない。とは言え、こんなに早く発見されたのでは誰かが見ていたのではないかと落ち着かない。
「なあ、どうするよ?」
「うるさい!どうしようもないだろ!」
そう。どうしようもない。今更自首する気も毛頭ない。それくらいならあんなことはしない。
「大体俺は殺すことはないって言ったのによ・・。」
「真理恵に訴えられてもいいって言うのか?」
東の言葉に反論した男も黙り込む。
大体・・真理恵が悪いんだ・・・。俺のせいじゃない。
性質の悪い責任転嫁をしながら東は椅子を立った。そして意味もなくカーテンを閉める。東のマンションの部屋は地上7階の場所にある。周囲にビルもない環境だから誰に覗かれている訳でもないが落ち着かないのだろう。どこから覗かれているわけでも誰かに会話を聞かれているわけでもない。そう、あんなこと、自分たちくらいしかできない。
『ねえねえ、真理恵さあ、この間トン君からなんかもらったでしょ?なに貰ったの?』
『ああ、ぬいぐるみ。ほら、これ。かわいいでしょ?』
『やだー。でもさあ、あの男、むさくてテディベアって柄じゃないよねー。』
『んー・・そう?』
げらげらと笑うモデル仲間に困惑したような真理恵の声。
否定しろよ。
聞きながらぞわりと暗い何かが東の心に頭をもたげた。スピーカーから流れる他愛のない会話はリアルタイムに真理恵の部屋で行われているものである。
『この間もさー。食事に誘われたんだって?身のほど弁えなってのよねー。』
『んー・・て言うか、あたしもあの時他で食事会があって。』
『えー。噂じゃ黒木さんとだって?』
男性モデルの名前に東の拳が震えた。
『そうなんだけど、次の撮影の打ち合わせだったのよ。カラオケのVTRだから。』
『あ、そっか、ベッドシーンなんだっけ?やらしー!』
ガチャンッ!
東の拳は続きを聞くことなく機材を叩き壊した。ぬいぐるみに仕掛けた盗聴器は、実に顕著に不愉快なこの会話を東のもとに伝えたことになる。
・・俺を断って・・黒木なんかと・・・。俺が・・・むさい・・・?俺が・・・俺がお前より下って・・・?
東の憎しみは単なる思い込みと逆恨みによる産物である。だが、この男にそれを言っても聞き入れる耳は持ち合わせてはいない。
そうやって・・誰にでも股を開くのか・・・。仕事だからって誰とでも寝るのか・・・。
徐々に膨らみつづける憎悪は殺意へと姿を変えるのに時間をかけなかった。
殺してやる・・・・お前なんか殺してやる・・・・
東の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。昏い悦びに目が彩られている。
ただじゃあ殺さない・・・。惨めに・・・誰も知らないような場所で、弄り尽くして殺してやる・・・。
「殺してやる・・・・」
そのとき言葉は、支配力を持った。
「とにかく・・・黙ってるしかないよな。俺たちのうち誰か一人でも裏切れば皆捕まるんだ。」
誰かの言葉に皆が一斉に頷いた。確かに、現場に証拠を残してない以上、捜査は困難を極めるだろう。
「せめて・・服を着せてくればよかったな・・・。」
やはり誰かがぽつりと言った言葉に東は舌打ちした。確かに、それだったら自殺とも取れたかもしれない。
「今更言ってどうするんだよ。死体はもう警察署だろうぜ。」
東の言葉に一同が黙り込む。
「とにかく黙ってろ。何か聞かれても知らぬぞんぜぬで通すんだ。いいな?」
それぞれに頷きながらも重い空気が流れる。だが、現状ではそれしか手の打ちようがない。
「とにかく・・俺たちは、真理恵ちゃんが死んで悲しい。そういう振りをするんだ。いいな?」
寒風吹きすさぶマンションのドアに少女が立っていた。
「出前の届け先はここでいいのかしらね?」
そう言いながらも少女の手には何も握られてはいない。その赤い唇はくすりと薄い笑みを形作り、白く細い指がインターフォンのボタンに伸びる。
「ふふ・・・じゃあ、始めますか。」
ピーン・・ポーン・・・・・・