嘘みたいなI love you2

「どうかした?」
低い声で呼びかけられた私ははっと我に返った。
「いえ・・課長に見とれてたんですの・・。」
恥ずかしげに頬を染めて俯いて見せながら胸の内で舌を出す。
危ない危ない・・・。
見とれていたのは本音。だけど、そうあからさまに発情期のメス犬みたいに見つめてたんじゃあ、好印象でぐっとお近づきにと言う私の作戦からは大きく外れてしまう。なにせ、飯田課長は他の男とは違うんだから!

決意を新たにして映画館のスクリーンに視線を戻し、肘置きに頬杖をつく飯田課長を私は改めて見た。
さらさらな、それでいてしっとりとした髪の毛。二重の優しげな瞳。薄くてセクシーな唇。大きくて厚く、綺麗な手に男らしいごつっとした手首・・・。
は・・・。いけないいけない・・。
思わずにへらっと笑いそうになって私は慌てて顔を作り、スクリーンに視線を戻した。よくある恋愛映画。それも悲恋もの。自分は何回も見たからストーリーは空で言える。わざわざこの映画を選んだのは、男の人はこの手の映画を見ると眠気に誘われると言う過去のデータに基づいてのこと。
・・・寝かせてどうするかって?
もちろんまずは肩枕をして差し上げて!あわよくばキスまで頂いてしまおうと言う崇高なる目的のため!!!
「・・・こほん。」
いけないいけない・・。今からエキサイトしては・・。課長だって大人ですもの。映画館のキスくらいなんということもないはず。今日の最終目的は、ふふふふ・・・・。
「朝霞君?」
「は、はい?」
何時の間にか課長が怪訝そうな顔で私を見ていた。
「今・・笑うシーンだったの?俺、いまいちわからないんだけど。」
はっと見れば恋人同士が喧嘩別れをするシーン。
・・まずい・・・。
「い、いえ。この後どうせくっつくんだろうなと思ったらなんとなくおかしくなってしまって。ごめんなさい。」
「あ、そうなの?そうなんだ?」
・・・確かにそれは本当のことだけど。
私の言った台詞に安心したように課長は再び椅子に身を落ち着けた。
・・もしかして結構はまってる?
真剣にスクリーンに見入っている課長になんとなくおかしさを覚えながら私はとりあえず自分も映画に集中することにした。
飯田課長はよくもてる。本人がどう思っているかは知らないがとにかくもてる。顔よしスタイルよし収入よし。うちの会社でもこの条件に当てはまる男は決して少なくはないが、この上に「独身」という条件がつくと数は少なかった。今でこそ総務部にいるが、奥さんが亡くなる前は営業部でトップを争うほどの能力の持ち主だった。他からの引き抜きも後を絶たなかったという。
そんないい男・・・逃す手はないわよね。
多分うちの会社の女子社員ならみんな考えることだと思う。私だって秘書課に入ったのはいずれ経営陣のトップにつくだろう課長が海外にいく時等のサポートをするためだったのだから。それが何故今に至るまで一人身なのか。
私は飯田課長にまつわるもう一つの噂を思い出していた。
『重度の親ばか』
営業を退き、総務部への転身を申し出たのも娘のためだと言う。あの仕事の鬼が、週3回はきっちり定時に帰り、土日の休日出勤は一切しなくなったというからえらい変貌振りである。
でも・・今日見た限りじゃそんなに娘べったりと言う感じじゃなかったわよね・・。
嬉々として父親を送り出した勝気そうな少女を思い出す。確か『沙希』といったか。彼女自身もそうファザコンと言う感じではなさそうだし、課長もただ寝ていたいだけという感じではあった。
第一・・・あんな小娘に負けるわけはないわよね。
見るからに化粧っ気のない少女を思い出して私はほくそえんだ。課長だって32ですもの。大人の女性のほうがいいに決まってる。
戦う前から勝利を確信して私はちらりと課長に視線を移した。シーンはちょうどクライマックス。彼女が死んでしまう悲劇のシーンだ。
・・あら・・・?
顔を俯き加減にしている課長に私は思わずほくそえんだ。
もしかして・・このいいシーンで寝ちゃったかしら・・?
そう、男の人にとってはいいシーンだろうが関係ない。眠いものは眠いのだ。長い前髪で隠れて課長の顔は見えないが、寝ていることは間違いないだろう。私は肩枕計画を実行に移すべく課長の袖を軽く引いた。こうすれば自然とこちらに寄りかかり、無理なく肩枕ができる。
ふふふ・・これで親密度アップv
クイクイ・・
・・・・?
計画どおりに凭れかからない課長に私は思わず顔を覗き込んだ。
「・・・課長・・・・?」
「・・・朝霞君・・・。こんな悲しいことってないよなあ・・・。」
あろうことか。飯田課長は泣いていた。

「ねえ、沙希ぃ。」
・・・・・・・・・・。
「沙希ったらぁ・・・。」
・・・・・ああ・・気になる・・・・。
「沙希っ!!」
「きゃああっ!?」
耳元で叫ぶ瑞穂に、思わずあたしは正座したまま飛び上がると言う器用な真似をやらかしてしまった。
「な・・なに・・?」

くわんくわんと鳴り響く耳を押さえながら目を回し気味に尋ねるあたしに瑞穂は手の中に握り締めていたコントローラをつついた。
「なに?じゃなくて。沙希の番だってば。」
「あ・・ああ・・ごめんごめん。ていっ・・あら・・?ていっ。」
「・・・コントローラー逆・・・。」
ものすごく器用なことをしていたあたしに、瑞穂が冷静な突込みを入れた。
父さんを送り出した後、あたしは一人でなんとも暇になったので瑞穂を呼び出した。で、なんとなくプレイステーションでオセロを始めたのだけど、全戦全敗となんとも情けない結果を更新中だった。
「そんなに気になるなら行かせなきゃよかったのに。」
「・・なにが・・?よっと・・お、これで4つ頂きvv」
「お父さんよぉ。はい、角もーらい♪」
「・・・べぇっつにぃ〜・・・・。」
パタンパタンと黒く変わっていく自分のオセロを見ながらあたしは憮然として頬杖をついた。もはや4分の3は黒に染まっている。残り一つの角を貰ったところで負けは見えていた。
「あーあ・・今日は冴えてないなあ。」
溜息をつきながらテーブルの上のコップに手を伸ばしてコーヒーを飲もうとすると・・空。
「あんた、さっきもそれやったよ?」
「・・・・・。」
コップをテーブルの上に戻して膝を抱えるあたしに瑞穂がにやにやと顔を近づける。
「この際認めちゃえばあ?お父さんのデートが気になりますってさ。」
「・・別に気にならないわよっ。」
嘘。本当のところはものすごく気になっていた。
朝、あれからすぐ父さんをスーツに着替えさせると、あの朝霞と名乗った女の人は父さんの腕を組んで引きずるようにして出て行った。
しめしめ・・・。
最初はそう思ってた。だけど、時間が経つにつれてなんだか面白くないような、いらいらとした気分が募ってくる。
・・・まさか・・なんで・・?
自分でもその気持ちに戸惑いながら家の中をうろうろと歩いたりぴかぴかに掃除したり買い物に出たり久しぶりに手間のかかる料理を作ったり・・・。
・・・だーっ!
お昼が過ぎたころ、あたしは無駄な足掻きを諦めて瑞穂を呼んだのだった。
「お父さんだって、あんたに送られたら嫌だったろうなぁと思うけど?」
「そんなことないわよ。鼻の下伸ばして出て行ったもん。」
少ながらず父さんが楓を嫌っているようには見えなかった。
そりゃそうよね。あんなに美人なら、私でも喜んでついてっちゃう。
自分とは明らかに違う色香を纏った楓の容貌になんとなく胸がちりちりするのを覚えてあたしは溜息をついた。ちらりと時計を見れば5時。
「じゃあ、あれかな。今日は夕飯まで食べてえ、その後大人のお付き合いかな?」
「ええ?」
瑞穂の言葉に思わず目を丸くしてしまった。そんなの、考えてもいなかった。
「だってそうじゃん?沙希のお父さんだってもう32にもなる大人の男なわけだし、そのなんだっけ・・楓さん?だって多分そのつもりだろうしさ。絶対ただじゃ帰ってこないんじゃないかなあ?沙希のお父さんだって誘われたら男だもん。断れないと思うなあ・・・。」
不穏なことを言いながら瑞穂がなぜかあたしをちらりと見た。
「・・・なによ?」
「べぇっつにぃ?」
さっきのあたしの口調を真似て瑞穂がにやにやとしながらそらっとぼける。
瑞穂が言いたいことはわかる。そして、明らかに今のあたしは父さんのデートを歓迎していないことも。
だけど・・・。
「沙希ぃ。素直になっちゃえば?」
「だめなの!父さんは・・・父さんは、母さんの旦那さんなんだからっ!」
叫ぶように言ったあたしを、それ以上説得しようとは、瑞穂はしなかった。

映画館を出て、いわゆる『女性の買い物』とやらに付き合ってその公園についたのは日が落ちてきたころだった。ちらりと時計を見ると6時を指している。楓は、今日一日中そうしていたように、俺の腕に腕を絡めたままだった。
これが沙希だったら楽しいのに・・。
正直俺はそう思わずにはいられなかった。映画は泣けた。感動と言うよりも、沙希の母親である希(のぞみ)が死んだ時のことを思い出してしまったからだ。
あの時、馬鹿みたいに泣いていた俺を叱咤したのは11歳だった沙希だった。
『そんなに泣くんだったらあたしが保護者になっちゃうから!』
全くなんて事を言う子だろう。
沙希は葬式のときも、葬式が終わってからも一度も泣かなかった。勝気な、強い子なのは今も昔も変わらない。親戚がごたごたと俺の側にいることについて口を出したときもはっきりと言った。
『父さんは、母さんの旦那様で、あたしの父親です!家族でもない他の人のところには行きたくない!』
このときも、沙希は泣かなかったのに俺は不覚にも泣いてしまった。沙希が俺を父親と認めてくれていたから。何より、家族だと認めてくれていたから。そんな俺に沙希は叱咤した。
『娘が泣いてないのに父さんがめそめそ泣くのは止めてよね。』
だけど俺は知っている。全てが終わり、たった二人になった家の中で、学校から帰った沙希が、ランドセルを背負ったまま希の服を抱えて泣いていたのを。そんな姿は後にも先にも一度きりだが、俺はその姿を見て、「一生この子を守る」と言う誓いを新たにした。出来れば俺の前で泣けるくらいの信頼関係が欲しい。それは、ただの父親だったときから変わらない想いだった。
「課長、これから、どうしましょうか?」
しなだれかかる楓の声に俺は我に帰った。ふと見回すと回りはカップル同士。どうやらここは、そういう場所のメッカらしい。
「私・・いいお店知ってるんです。良かったらそこに・・。」
「悪いけど、今日はこれで帰るよ。」
「え?」
「今日はありがとう。いろいろ勉強になった。また会社で会おう。」
「え?そんな・・課長・・?」
呆気に取られたような楓をその場に残し、俺はその公園を後にした。すぐそこは人通りの多い道路だ。危険はないだろう。
それより、沙希に会いたい。

「ねえ、晩御飯どうする?」
「んー・・・。」
瑞穂の問いかけにもあたしは唸るように時計を睨んでいた。7時前。今ごろ父さんたちも楽しいディナーなのかな・・。それで・・。
時計と睨めっこしながらあらぬ妄想を繰り広げかけたあたしの後ろで、瑞穂の盛大な溜息が聞こえた。
「あたし、そろそろ帰るわ。また明日、暇だったら呼んでよ。」
「んー・・。ごめん・・。」
「いいって。じゃあね♪いとしのお父さん、早く帰ってくるといいわね♪」
「別にどうだっていいわよ!」
噛み付くあたしにけらけら笑いながら瑞穂は部屋から出ていった。
「はぁ・・・。鍵・・かけなきゃね・・・。」
そうは思っても体が動かない。なんだか、今日一日気が抜けたように過ごしていた。その余韻か、全然体が機敏に動かない。
カチャ・・・
下でドアが開いた音がしてあたしは顔を上げた。
「・・・瑞穂かしら・・?」
最初は瑞穂が忘れ物でも取りに来たかと思ったけどなんだか足音はするような気がするものの一向に上がってくる気配はない。
「・・・瑞穂・・?」
一応声はかけてみるものの返事はない。あたしはなんだか薄気味悪くなってその場から立ち上がった。
まさか・・泥棒とか・・。
最近物騒だし、ありえない話じゃあない。あたしは側にあったモップを構えて廊下に出た。
がたがた・・・
1階の台所付近でなにやら物音が聞こえる。あたしは足音を立てないように階段を下り、台所へ通ずる廊下へとばっと足を踏み出した。
「うあっ!?」
「きゃあ!?」
次の瞬間、あたしは派手に誰かとぶつかって思わず悲鳴をあげた。
「きゃあ!きゃあ!きゃあ!」
ゴンゴンゴン!
「いていていて!」
めくらめっぽうにモップを振り回し、力任せに相手を殴りつけるとその相手は必死に叫んだ。
「沙希!俺だ!俺!」
「へ・・・?」
慌ててモップを止めて相手を見ると、そこには頭を抱えて痛そうにこっちを見ている見慣れた人物の姿があった。
「父さん・・・・?」
涙目の父さんに、慌ててあたしはモップを放り投げたのだった。

沙希の家からの帰り道。
途中の屋台で美人が御酒飲みながらくだ巻いてたのよね。まだ7時半よ?
もったいないわよねえ。
きっちりとした感じの美人だったのにさ。もしかして振られちゃったりして♪
無事にファザコン娘のお守りも終わったことだし。
あたしはとっととかーえろ♪

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