嘘みたいなI love you4
小娘に負けた?
……そんなはずはない。
課長って娘さん大事にしてるから。
そう、だから私は負けたわけじゃない。
気合を入れてファンデーションを顔にはたき、アイラインを引いてルージュを塗る。鏡の前で最上級の笑顔を作って見せて、私はガッツポーズをとった。朝から二日酔いの顔に蒸しタオルを当てただけあって結構すっきりと戻っている。
おっしゃあ! これなら課長もいちころぉ!!
……こほん。
ともあれ。昨日は家で待つ娘さんに惨敗したわけだけど、今日こそは!! 今日こそはぁ!!!!
……おっほん。
何のことはない。娘さんも一緒に出かければいいのよね。
そうそう。親子の団欒とやらを作ってしまえばいいのよ!
かくて、気合を入れて「移し変えた」お弁当を手に、私は飯田家へと向かうことにした。
今日も快晴のいいお天気。秋の行楽日和とくればドライブ!課長は確か車を持っていたはずだし、同乗させてもらってドライブへ!そこで娘さんと意気投合して次のデートへの協力を取り付ける!!!
……ジェスチャーは大人しめに。
人の視線に愛想笑いを浮べつつ、タクシーを使い飯田家へと私は到着した。
いざ!リベンジ!!
ピーンポーン……
家の中で呼び鈴が木霊しているのが聞こえた。腕時計をチェック。時間は10時半。今日はお弁当の「詰め替え」に手間取ったから少し遅くなってしまったけど、多分いるはず。
……。
「まさか、留守……?」
寒い予感を胸に再び呼び鈴を押した。
ピーン……ポーン……
「ああ、飯田さんとこなら親子で出かけたよ?」
ありがたい近所のおばちゃんの言葉に、私はそっと涙を拭ったのだった。
せっかく今日はガーターベルトにしたのに……。……くすん。
「いやあ、いい天気だなあ」
「そーねー……」
のー天気に伸びをしてだだっ広い牧場を見回す親父にあたしは気のない返事をして小さなため息をついた。
「ん、どうした? なんか元気ないぞ?」
あんたのせいじゃぁ!!
……とは胸の内に飲み込んであたしはぎろりと親父様をにらみつけた。
「そんなに熱心に見つめられると恥ずかしいなあ。うれしいけど」
ボクゥ
「げふ……」
見事にめり込んだ鳩尾から拳を離してあたしはそ知らぬ顔で空を見上げた。
「う……なー。そんなに弁当まずかったのか?」
「う……。そんなことはないわよ」
そんなことはないどころではなかった。かなりおいしかった、というのが本音なのだ。父さんは昨日のやけどがまだ響いてるのかあまり口にはしなかったけど、から揚げは冷めてもからっとおいしいし、卵焼きはきれいな黄色でふんわりと適度に甘く、たこさんウィンナーの計算し尽くされたカットといったら足のしなり具合に微妙に反映され……いや、そんなことはどうでもいいんだけど。
「なー、沙希? まずかったか?」
だけど、素直においしいとは言いたくなかった。悔しくて。
「さーきちゃん? そんなにまずかった? お父さん泣いちゃおうかなあ? さーきちゃん♪」
何もできない、子供のような人だと思ってたから……。
「なーなー、沙希? なー? まずかったか? なー?」
「しっつこいわねええ!! おいしかったわよおお!!!!」
「そっかぁあ。そりゃあ良かった」
「あ……」
あまりのしつこさに思わず正直に言ってしまってあたしはうつむいてしまった。認めたくなかったのに。
なのに、そんなあたしの思惑なんかよそに、父さんは能天気に喜んでいた。
「いつか食べさせたかったんだよなー。俺の弁当。いっつも沙希にばっかり作らせて申し訳ないと思ってたからさ」
嘘……。そんなこと、考えてた?
だけど知ってる。父さんは、細かいところであたしに気を使ってくれる人だ。
……鈍いけど。
あたしは朝からずっと口に出せずにいた疑問をとうとう口にした。
「ねえ……。どうして……母さんが生きてるときにご飯、作らなかったの?」
「あ? うーん……」
あたしの質問に、父さんは少し赤くなって頬をぽりぽりと掻いた。右眉が跳ね上がってる。母さんを思い出すときの癖だ。同時に、あたしの胸がちくりと痛み出した。父さんのこんな顔を見るたびに、いつも。
違うもん。嫉妬じゃない……。
どこかで言い聞かせているのがわかる。だけどそれを無視して。
「ねえ、どうして?父さんが作れるってわかったら、母さんも喜んだかもしれないのに」
「いや、希は知ってたんだよ。俺が飯作れるのをさ」
「え? じゃあ、どうして……?」
「うん……。結婚するときにさ。希に言われてたんだ。『普通の専業主婦をしたい。今度こそ好きな人に幸せに尽くしたい。だから、あなたは家事をしないで。』ってさ」
「あ……。そう……か」
父さんの言葉にあたしは幼い日のことを思い出していた。母さんの幸せそうな顔。前の父さんのときはそんな顔見たことなかったから、あたしもすごく幸せだったっけ。母さんは言っていた。
『こうやってね、好きな人の世話を一から十まで焼いてると、ああ、この人は私が必要なんだなって、すごく幸せな気持ちになるの』
あの時、母さんは恋する少女のようだった。前の父さんのときは、世話を焼けば殴られていたから。母さんは愛されながら尽くしたかったんだ。
「でもさあ? 沙希はまだ学生だろ? これから大学受験だってあるしな。だから、できる限り俺も家事をしようか、なんて久しぶりに思い立ったわけだよ。何年もやってないと錆付いちまうけどな」
だからすこーし卵が焦げてたろ? と恥ずかしげに言って父さんは頭を掻く。
それでもおいしかったんだけどね。
「父さん……母さんのこと……愛してる……?」
わかってる。あたしの聞き方は意地悪だ。母さんはすでにここにはいない。なのに、あたしの聞き方は現在進行形で。でも、父さんはあたしの顔を覗き込んでにっこり笑った。
「沙希、もしかしてやきもち妬いてる?」
「なっ! んなわけないでしょおおおおっ!!」
ヒュッ
パシ
真っ赤になって振り上げた拳を父さんは難なく取って微笑んだ。そんなことは初めてで、パニックを起こしているあたしの顔に父さんの顔が近づく。
うあ……キスされる……!?
そう思った瞬間、やわらかい感触が額にあたった。
「あ……」
拍子抜けしたように父さんを見るあたしをやわらかく抱きしめて、大きな暖かい手があたしの髪を撫でた。
「もちろん、母さんは愛しているよ」
「そっか……」
ほっとすると同時に、なぜか寂しい気持ちになって思わず頭を振る。すると、そのあたしの耳元に親父が囁いた。
「沙希はもーっと愛してっけどな。……うげ☆」
耳元にやわらかいものがあたった瞬間あたしの掌底は親父の顎を跳ね除けていた。
結局俺たちは、少し早めに家路につくことにした。
理由は明白。俺が喋れないからだ。
「父さん、大丈夫?」
「うんむ」
気遣わしげな沙希の言葉にも重々しく頷いてみせる。だが、その口の中で舌は少々厄介な状況になっていた。
昨日の火傷に加えて先ほど沙希の耳にキスして食らったアッパーで舌を盛大に噛んでしまった。千切れちゃいないが血はにじんでいるらしく、鉄の味が口の中に広がっていた。
よく考えたらうちの娘って暴力的だよなあ……。
しみじみ考える。まあ、それでもかわいいからいいのだが。
これが沙希でなければ刑務所いきである。
「帰っても結構時間早いよねえ?どうしよう、買い物に行く?」
そろそろ家が近づき、時計を見ると確かに三時半。すぐに夕飯の準備をするには早いしかといってどこかに出かけるには中途半端な時間だ。
「ほーらは……」(訳:そうだな。)
頷いてとりあえず荷物を置くべく我が家へとハンドルを向けた。
「あ……」
「ん……?」
家の前に誰かが立っていた。沙希もそれに気づいて声をあげる。あれは……。
「朝霞さん……?」
「へ……?」
沙希の言うとおり、玄関の前に立ち尽くしていたのは昨日デートの勉強をさせてもらった朝霞楓だった。家の前に車を横付けにすると沙希が窓をおろした。
「あの……? 何か、御用ですか?」
「いえ、思い立って寄ってみただけなんです。たった今きたんですけどっいらっしゃらないみたいだから帰ろうかしらと思って。ちょうど良かったです」
なにやら立て板に水のごとく言い募る楓の髪は乱れていたが、それは気にしないほうがいいんだろうな……。
「……あの……あがりますか?」
沙希もなにやら楓の様子に哀れみを覚えたらしい。その言葉に楓の顔色が一気に良くなっていくのがわかった。
「あらっ。いいんですか? 今お帰りになったばっかりだっていうのにっ。あ、でもせっかくのお言葉だから遠慮なく……」
いや、それは最初から遠慮してないだろう……?
「で? わざわざ二人っきりにしてきたわけ? ばっかねえ?」
「ば……馬鹿とはなによぉ。気を使っただけじゃない」
家から少し離れたマクドナルド。そこにあたしと瑞穂はいた。楓さんを家に上げて、粗茶とお菓子などを出した後、「あとは若い者に……」などと言って家を出てきちゃったのだ。
「じゃあ、なに? 楓さんとお父さんが良い仲になっちゃってもいいわけ?」
「い……いいに決まってるじゃない。それこそ万々歳よ」
「口元引きつらせて言うせりふじゃないわね」
「う……」
ちょんと口元をつつかれてあたしは思わず黙り込んだ。
「逃がした魚は大きいとかさ……とんびに油揚げとかそういう諺が脳裏を運動会してるんだけど」
「気のせい」
「ふーん?」
きっぱりというあたしをニヤニヤと瑞穂が見る。
「なによぉ?」
「傍から見てるとばればれなんだけどなあ。沙希がお父さん好きなの」
「なっ……そ……そりゃっ家族だからっ!」
「そーじゃなくてさあ」
ずずいと顔を近づけて瑞穂が目を細める。
う……こわい。
こういうときの瑞穂は何もかも見透かしてそうでいやだ。
「あんたさあ。自分でわかってんでしょ? お父さんのこと好きなの。もちろん男として」
「す……好きじゃないわよ? だからこうして二人きりにして出てきたんじゃないの」
そう。そうなのだ。どこの世界に好きな男とほかの女を二人きりにする女がいるだろうか!! 本当に好きならそんなことできっこない! だからあたしは父さんのこと好きじゃない!!
ほら、これで解決!!
「じゃあ何で握り拳作って自分を説得してるのさ?」
「……」
「ねえ?」
不意に真剣な表情で瑞穂があたしの顔を覗き込んだ。どくんと心臓がはねる。なんだか、薄布を剥ぐように裸にされているような気分だった。
「ダブルバーガーとフランクバーガーどっちがいいと思う?」
「……は?」
きょとんとするあたしに瑞穂はメニューを見ながらため息ついた。
「いやあ、どっちも似たような値段じゃない? さっきから迷っちゃって」
「あ……そ……」
なんだか損した気分っ。
「課長、すみません。せっかくお嬢さんとゆっくりしてらしたのに……」
家族団欒の目論見からは外れたけど、わざわざ二人っきりにしてくれたから結果オーライとする。慌しく「あたし、友達と約束があるから」と出て行った娘さんに心の中で感謝しながら私はしおらしく課長に頭を下げた。
「あ、ああ……」
課長はあいまいに頷くだけだったけど、私には娘さんという強い味方がいるものっっ!! 何も怖いものなんかなくてよっっ!!
自分を奮い立たせつつ出していただいたお茶に手をつけると、私はさりげなく家の中を見回した。そこは応接間と仏間を兼ねた造りになっているらしく、課長の後ろには仏壇があった。飾られているのはものすごく美人の遺影。
「あの……課長」
「ん?」
「失礼ですけど、あちら……奥様、ですか……?」
遠慮がちに尋ねると、課長は軽く頷いた。
なるほど……あんなに美人の奥さんがいたんだったら簡単にはなびかないのも頷けるかもしれない。そう思えるほど、写真の人物は儚げで、清楚で、そしてどこか芯の強さを感じられるような、そんな美しさを持った人だった。
「あの、お線香上げさせていただいていいですか?」
「ああ……」
私の言葉に課長は快く頷いてくれた。そう、未来の妻としてはぜひとも過去の奥様のご機嫌も取って認められるようにしとかなくちゃね。結婚したとたんに化けて出られたら大変だし。
……そんなことしそうな奥さんには見えないけど。
私はお線香を上げて黙祷をささげると、そのまま課長のほうを向いた。仏壇は課長の斜め後ろ。必然的にこちらを向いた課長の膝と私の膝が触れ合う。
「あ……」
慌てて後ろににじろうとする課長の膝に手を添えてそれを止める。
朝霞楓、二十三歳。ガーターベルトの意地、見せます!!
「あの、課長!」
「ん……?」
心なし引きつったように見える課長の表情は無視して私はずい、と膝を寄せてにじり寄った。
「え……えー……」
目をそらそうとする課長の顔を捕まえてぐいとこちらを向ける。
「課長。好きなんです。ずっと……入社のときから好きでした」
「い、いや……あの……」
「課長は私のこと、嫌いですか?」
「そ、そんなことは……」
「じゃあ、抱いてくださいっ!」
「へ……?」
あっけに取られた顔の課長の前で私は勢いよく立ち上がると着ていた服を脱ぎ始めた。
「う、うあ……あ、あさはくん……」
課長の制止の声も気にしない。サーモンピンクの薄手のセーターを脱ぎ、同系色のフレアスカートを脱ぎ捨てるとその下には白いレースの下着とガーターベルト。
私はその格好のまま課長の前に膝をつき、課長に襲い掛かり……もとい、縋り付こうとした。
「課長!」
「うわぁっ!!」
ズベッ
……おのれ、敵もなかなかやるわね? これならどうだ!
「愛のスライディングタックル!」
「うぉわわわわっ!」
ズザザザァァッ!ゴチ。
……たたた。テーブルに頭ぶつけちゃった……。
頭を撫でながら身を起こすと課長が赤くなって顔をそむけた。見下ろせば激しい体当たりの攻撃にブラがずれておっぱいが顔を出している。ちょっと畳でできた擦り傷が痛々しかったりもするけどそこがまた魅力的、なんて。
「い……いやん」
「あさはくん……やめ……」
「朝霞、ですわ。なんの、どうせ見せるはずだったんですものっ。遅いか早いかなんて関係ありませんわっ! スライディングアターーーーークッ!!」
ガシッ
「うおわあああああっ!!」
やった! てごたえありっ!!!!
「課長! 私の気持ちを!! 受け取ってくださいーーーー!」
ブチュッ
と……とうとうしたわ……っ! 課長とのキス!!
苦節○年! 秘書課で磨きをかけたかいがあったわああああああっ!
私はそのまま迷わず課長の口の中に舌をねじ込んだ。この際だもの、ディープキスまでっ。
……と思った瞬間。
「うごぉあああああああっ!!」
ガバッ
「え・・?」
あっという間に跳ね除けられ、あっけにとられる私の目の前で課長は口を押さえて蹲っていた。
「あ……あの、課長?」
恐る恐る声をかける私の前で涙目で身を起こすと、じっと私をにらみつける。
「あの……課長、すみません……。でも一体、どうしたんですか……?」
怒らせてしまっただろうか?
そんなことを考えながら頭を下げる私の前で課長はべえと舌を出した。
「っきゃあああああああっ!!」
それから私がひたすら頭を下げまくったことは言うまでもなかった。
「ただいまー」
あたしが扉を開けると、ちょうど楓さんが帰ろうとするところだった。
「あら……もうお帰りになるんですか?」
そう声をかけたあたしに楓さんは慌しくうなずきながら愛想笑いを浮かべた。
「え、ええ……。あまり長居してもと思って」
言いながら乱れた髪を撫で付け、襟元をしきりに気にして直している。
まさか……。
なんとなく胸がちくりと痛んだ。
そんなあたしの思いをよそに楓さんはパンプスを履いてあたしに頭を下げた。
「お邪魔しました」
「いいえ。何のお構いもしませんで」
頭を下げ返したあたしに楓さんは申し訳なさそうに付け加えた。
「あの……課長、お大事に……」
ズキン……
なんで、それを知ってるの……?
「あ……ありがとうございます」
そう返しながらも、あたしの頭の中は空ろだった。
玄関を出て行く楓さんを見送る。だけど、父さんは出てこない。
……その方がいい。
あたしは、そのまま父さんの顔も見ずに二階へと上がった。