ゴヌドイルの流れは紅く染まっていた。
紅き湖の惨劇もかくや、というほどに。
沈みゆく太陽を半身に受け、ナンム・ディティは小さくため息をついていた。
「退屈よねえ……」
故郷であくせく働く両親が聞けば憤死しそうな台詞を呟いてナンムはなで肩を柔らかく覆う生成りのクームワを体の前にかき寄せた。そのクームワを、すっかり伸びた自慢の黒髪がゆるいウェーブを描いて背中の中ほどまでを覆っていた。後少しで訪れる商売の時間ともなればこの薄布の下はほぼ裸も同然となるが、今はその下に派手な刺繍の入った袖のないリィリィを身に付けていた。長めだが足が透けて見える薄桃色のパレリが湖畔を渡る風に柔らかくはためき、細いながらむっちりと肉感的なナンムの足のラインを露わにしている。
ヴラスウルの外れ。セドよりもまだネタニ川沿いにウラナングに近い小さな村。そこが彼女の生まれ故郷だった。
貧しい田舎暮らしから都会に憧れてハンムーに渡り来てはや、2年になる。
最初は刺激的だったハンムーの生活も、怠惰な享楽の繰り返しに半ば飽き飽きしてきた。
まだ17歳。もう、17歳。
どちらなのかはわからないが、ナンムにとってハンムーの時間はもう、十分すぎた。
「カヤクタナにでも行こうかな……」
クンカァンは荒事が多く、戦が絶えないという。
カナンではどこも似たようなものといえばそうなのだが、まだ、そこまで刺激的でなくていいと思う。ミリの加護に見放されなければカヤクタナでも商売はできるはずだった。
ウラナングみたいな都は性に合わない。賑やかなのは好きだけど、長居したい都ではなかったと記憶している。
特別生き急いでいるわけでもなく、それほどのんびりともしてはいない。クンカァンとの小競り合いは多いだろうが、それもまた一興だ。
「よし、きーめた」
呟いて、ナンムはまぶしげに川に背を向けた。
町が喧騒に包まれつつある。
また、愛しき夜の帳が押し寄せようとしていた。
店の中は不思議な熱気が篭っていた。決して狭い店ではない。それどころか、今カウングがいる部屋だけで10ホガル四方はあるのではなかろうか。かなり大きな舞台を有したその部屋のは、舞台の周囲に客が座すスペースがある。そのさらに奥には気に入った女を買って懇ろに過ごすための個室さえあるのだ。
この広い空間が不思議な熱気に包まれているのにはそんなわけがあった。
男と女の色と欲。そんなものが渦巻き、交錯する。
薄暗い照明の中で、男は己の情欲を満たす女を、女は己の欲を満たす男を虎視眈々と狙っているのだった。
甘くとろりとした果実の酒が喉を通り越していく。
クンカァンのものに比べれば断然弱い酒なのだが、微妙な味付けのハンムーの料理を味わうにはもっとも適しているし、美しくも肉感的な女達の舞を見ながらゆったりと飲むにはもっと最高の酒なのである。だが、この少し甘ったるい酒をじっくり味わうようになったと言うことはやはり年をとったと言うことなのかもしれない。昔はクンカァン製のきつい酒を冒険のように飲んでいた気がする。
隣に腰掛けた肌も露わな女に空になったグラスの中身を注がせながらカウングは短かったハンムーの日々を思い起こしていた。
カウングはハンムーの人間ではない。元々はボジクの出だ。そして、その出自のそのままに商売を営んでいる。ただし、商家の三男だったカウングは船を貰うことなく馬車で各地を回る旅商人となった。幸い、要領のいい三男の気質のおかげか、割に成功を収めていると自分でも思う。けちは重要だが、やはりそれだけではダメなのだ。投資もしなければ。
拠点としてウラナングに店を構えることも出来たし、今度はボジクにも建てる予定だ。明日からは新たな市場の開拓にカヤクタナへと向かう。クンカァンとの情勢に不安が残るところではあるが、何、戦争が起こってなお必要なものを売ればいいのだ。
余り柔和とはいいがたい痩せぎすの顔に余裕の笑みを浮かべるとカウングはなみなみと酒が注がれたグラスを口元に近づけた。そのカウングに女がしなだれかかってくる。
世の中は金だ。
金さえあればこの世の全てを思うままにできる。酒も、女も。
まだまだ全てを我が物に、と言えるほど稼いでいるわけではないが、それなりにいい女がいれば己のものにできるほどには金がある。
そう、自分にはそれができるのだ。
しばしの勝利に酔い、カウングは甘ったるい酒を口に含んだ。
唐突に、銅鑼の音が響いた。同時に、朗々とした歌声が響き渡る。
観客たちが一斉に舞台のほうを見るのがわかった。
周囲のざわめきに不思議に思ったカウングは擦り寄っていた女を振り返った、
「何があるんだ?」
「ああ、ナンムよ。ナンム・ディティ」
「ナンム?」
ナンムとはなんだ? その疑問を投げる前に彼女は現れた。
どよめきは、一気に波が引くが如く静寂へと取って代わる。
朗々と謳いあげる楽の音。
弦が奏で上げるその滑らかな音に寄り添うように静かに女は舞台の中央に歩み出た。
年の頃は十代の半ば過ぎだろうか。派手な化粧は少女の幼い顔をより妖艶なものへと仕上げ、少女と大人の女性の狭間のえも知れない魅力をかもし出していた。
絹だろうか。透けてその下の裸体も露わな薄紅のリィリィに、その下にやはり透けた薄紅のパレリを身につけていた。その下の腰布がかろうじて股間を隠してはいたがともすれば裸よりも淫らに見えるその服装は男たちの情欲を煽るに十分だった。服の下の量感溢れる乳房が揺れ、体を妖艶にくねらせて舞姫は踊る。黒髪を飾る金の髪飾りが時折触れ合って高い音を奏でるのですら見事な調和を生んでいた。
気がつけば、周囲で淫らな嬌声が上がりつつある。舞姫の舞に刺激された客が女達の体を弄り始めたのだ。カウングに寄り添う女も瞳を潤ませてリジィから出た彼の腕をなでさすっていた。
「ねえ……奥に行きましょうよぉ……」
だが、カウングはその場から動くことが出来なかった。
女の意図はわかったが、舞姫から目を離すことが出来なかったのだ。
カウングの目の前で舞姫は体をくねらせ、髪を振り乱した。まるでミリの娘の一人であるかのように美しく、妖艶に。
ふわりといい香りが鼻をつき、凝視しつづけるカウングの視界にリィリィの襟元から舞姫の白い乳房が覗いた時だった。カウングはその手を握り、立ち上がって叫んでいた。
「お前はいくらだ?」
わずかに息を荒げた舞姫が目を丸くしてカウングを凝視したあと、その唇になんとも艶めいた笑みが浮かんだ。
彼女はこう言ったのだ。
「あたし、高いわよ? 寝るなら買い上げてくれなくちゃ」
シナリオ/監督
彩音
出演
幡山めぐみ(ナンム・ディティ)
貝塚茂樹(カウング)
協力
やまた電脳工房
製作
Studio SAKURA