悪女

「というわけでね、今回のイベントはできるだけコミュニケーションを取る方向でいこうと思うの。どう思う?」
 初秋の日差しは、柔らかくなりつつあるとは言え、やはり暑い。<
 やまた電脳工房の本人にとってのみ整然とした事務所内に、傾くのが早くなった太陽の日差しが入り込めば、後は夕暮れまで一直線だ。
 飛行機、間に合わないかもしれない。
 わずかな焦り半分。まあ、泊まっても構わないか。そんな気持ちも半分。
 ここに泊まったとして、何か危険があるわけもなく。
 目の前で自分がプリントアウトした企画書を眺めつつ、何かを考えている池かなたを見ながら、彩音はそう思った。
「ねえ、池さん、聞いてる?」
「え……? あ、ああ、えーっと、ごめん。新刊の話だっけ?」
「もう」
 握られているだけの企画書をぱっと取り上げ、わざとらしく頬を膨らませて顔を近づけた。後十センチも近づけば、もう、キスだ。
「イ・ベ・ン・ト・の、話!」
「あー……そうだっけ?」
「そう。売ることも大事だけど、横のつながりも大事よって話」
「ああ、……そうか、そうだよね、うん。彩音さんの言う通りだ」
「ほんとにわかってる?」
「……うん。おっけーおっけー」

 ずいと迫ればずいと引く。
 そんな池の反応を呆れた顔をしながらも、内心は面白がっている自分がいる。たとえそれを指摘されたとしても、否定はしないだろう。彩音とは、そういう女だ。
 豊満な乳房が半分は溢れそうなキャミソール。太腿までの深いスリットが入ったスカート。
 見てくれといわんばかりの露出度に、書類を持たない池の視線がさまようのは当然のことで。もっとも、そこでじろじろと眺めないのは、彼に『良識』などという愚直な壁があるからに他ならないわけだが。
 なくともいいと思う。
 あるから彩音にとっては面白いわけだけれども。
 テーブルの上のアイスコーヒーを手に取り、彩音は書類を池の手に戻した。目一杯汗を掻いたグラスから、ぽとりと雫が胸元に落ちる。
「あ、つめた……」
 ひんやりとした液体が胸元から、胸の谷間を伝い、腹のほうへと落ちていくのがわかる。冷たさに思わず押さえたキャミソールの腹部に、水の染みが浮き上がる。
「あー、垂れちゃった……」
 慌てておこうとしたグラスから、急激な動きに耐え切れなかった雫がぼとぼとっと二、三滴落ちた。落ちた先はキャミソールの胸。スリットから大きくはみ出た太腿。すぐに広がった染みが、ブラに包まれた乳房の先端が冷たさに硬くなる様まで浮き上がらせた。
「ねえ、池さん、ティッシュ……」
 声をかけた相手の視線がどこに釘付けになっているのか。
 ぼんやりと向けられた視線の先に気づいて、彩音はあえて静かにグラスを置いた。そのまま、じっと自分を、正確には、自分の胸を見つめたまま何かを考えているらしい池を見つめる。
 五分。<
 もっと短いかもしれない。
 ふと、池の視線が、はっと我に返った。
「あ……えーっと……」
 何かを口にしようとした池に、彩音は微笑みかけた。
「ねえ、欲しいな……」
「な、何がっ!?」
 裏返る池の声に、くすりと笑い、彩音が指差したもの。
「……ティッシュ」
 ティッシュを渡してがっくりとうなだれた池が、そのままとぼとぼとトイレにはいる後姿を見やり、彩音は静かに微笑んだ。
「洗濯、大丈夫かしらねえ?」

『やまた電脳工房』池かなた氏に捧ぐ(笑)

このページのトップへ