れっといっとびぃ
「ラリサ? どこぉ?」
「んぁ?」
聞き覚えのある声にあたしは片目を薄く開けた。
ぽかぽか陽気の昼下がり。静かな小川のほとり。昼寝にはちょうどいい頃合だったりする。春のうららかな日差しの中、緑の草の絨毯に寝そべる美少女!! それだけで絵になること請け合い!!
……こら、そこ、無視しない。
自慢じゃないが、あたしはそう不細工な方ではないと思う。さらさらの金髪は背中まで真っ直ぐのストレートだし、青い目もなかなかに大きくてキュート。唇も適度に小さくてお客さんからは「さくらんぼのようだ」と言われるくらい。胸はそこそこには大きいし、ヒップだって引き締まっていい形。
ほらごらん。美少女じゃないのよぉおおおおお!!
……その口さえなきゃとは確かによく言われるけどさっ。いいの。『黙ってりゃ』美少女でも。
「あぁ? やっぱりここにいたぁ!! 母さん怒ってるよ? いい加減お店に戻んないとさぁ」
「あー……そうだっけ?」
ミーシャの金色に輝くくるくる巻き毛を見ながらあたしはのっそりと身を起こした。人がいい気分で昼寝してるってのに無粋な。
「ああふ……」
大あくびをするあたしの腕を引っ張りながらミーシャはその唇を尖らせた。
「早くぅ。ホッテンバーグのおじさん待ってるんだってよ?」
「げ……」
自分が出したその名前に露骨にいやな顔をするあたしにミーシャはかわいらしく首をかしげた。さすがナンバー1の貫禄。むっちゃかわいい。
「どうかしたの? いつもチップ弾んでくれる上得意さんなんでしょ?」
「んあ、まあね。金払うからいい客とは限らないっていう世の中の法則があんのよ」
もちろん今あたしが作ったんだが。
「ふーん…そういうもん?」
「そういうもんよ」
「そおかあ。母さん曰く『お金払う人ほどいい人』は間違いなのかあ」
「ま…そういうこともあるってことよ。」
……それもまた真理なんだけどね。
ぞんざいに頷いて見せながらあたしはミーシャの先に立って店へと戻っていった。ここから店までは歩いても10分。直に、角を出した母さんの怒鳴り声が聞こえてくるはずだった。
「ん…ふ……んぶ……ん……」
「というわけでな? 早速お願いしたいんだが……」
「んぶ…じゅ、れる……」
「あの……ラリサ?」
あたしは唾液塗れになっててかっているペニスを咥えていた顎を放し、ぎんと頭上で呑気にしゃべりかける人物を睨みつけた。
「じゃあかあしいい!!! そっちがせっかく店に入るのに抜いてもくれないって言うから一生懸命仕事してるって言うのに邪魔すんじゃないわよぉおおお!!」
「……すんません」
フェラチオをしているからといって相手は恋人じゃあない。40過ぎたはげたおっさん相手に恋心を抱けと言われてもちょっと困ってしまう。じゃあ何であたしがそんなおっさんのちんちん咥えてるかと言うと、ここがそういう店だからである。
『舞姫酒歌』
一見酒場風の娼館。あたしはそこで働いていた。『母さん』とあたしたちが呼んでいる人物は実の母親じゃない。ここの一切を取り仕切るおかみさんのことだ。ここにいる女の子たちはみんな人買いや人攫いから売られてきた経歴を持つ。幼いうちにここで下働きをして、14歳くらいからお店に出て男を相手に働くのだ。だけど、ここのお店はかなりいい部類にはいると思う。体を売るのは一緒とは言え、おかみさんが本当の母親のように親身になってあたしたちを育ててくれるから。よそでは、まともにご飯をもらえないどころか、外にも出られないところもあるという。だからあたしは、他の子に例外なく親に売られた身ではあったけど、自分の人生になかなか満足だった。
どんなときでも、戦えない人生はいやだ。それがあたしの持論だから。
そして、あたしにはもう一つの顔もあった。それはまあおいおい触れるとして。
「いや…そりゃそうだが。そういうのはほれ、打ち合わせが終わってからゆっくりと……」
「ほう、じゃあ時間切れでもう一回分お金払うっての?」
「……続けてください」
「わかればよろしい。で、そっちの『話』もわかったわ。必要な資料は置いていってよ。ちゅ……じゅ……」
あたしの舌使いにホッテンバーグの呼吸が荒くなる。が、思い直したように彼はあたしの頭をナニから(半ば惜しそうに)離した。
「……?」
不思議そうに(いや、多分不機嫌そうじゃあないと思う。ホッテンが怯えたような気がしたけどきっと気のせいだろう、うん)見上げるあたしに視線を泳がせながらホッテンは頬をぽりぽりと掻いた。
「何よ…?」
「いや…やっぱりまじめに仕事の話をしとこうと思ってな?」
「ふーん…珍しい。いつもはやってくれやってくれって煩いのに」
口元を拭いながらベッドの隣に腰掛けるあたしにおっさんは愛想笑いを浮かべてみせた。
「いや、今回はちょっと今までとは勝手が違うからさ」
「どういうこと?」
首を傾げるあたしに、ホッテンは一枚の羊皮紙を取り出して見せた。
「はぁあ? 今回は一人じゃねぇえ? 一体どういうこったよ?」
俺はギルドのカウンターにばんと拳を打ち付け、びびるおっさんにガンをくれてやった。
「俺が信用できねえってのかよ?」
「そ…そうじゃねえよ! 俺もあんた一人で十分だっていったんだけどさ。向こうがご指名だって言うからさ……」
「ご指名? こんな簡単な仕事にプロを二人もか?」
「まあ、そうはいうがさ、万が一って……だから俺じゃねえって!!」
掴んだ親父の胸倉を離して溜息をつくと俺はどっかとカウンターの前の椅子に腰をおろした。
「まあ、話を聞こうじゃねえか。とりあえず聞くだけな」
「助かる……」
心底びびった顔で冷汗をふく親父に先を促して俺は腕を組んだ。
ギルドとはいわゆる職能組合のことを言う。だが、そう言った生活に関わる職を持たない俺たちみたいな流れ者・・まあ、かっこいい言い方をすれば冒険者ともいうが、とにかく俺たちみたいなのには特別に『冒険者ギルド』といって仕事を斡旋してくれる機関がある。仕事の内容は様々で、人探し、浮気の調査、護衛、もの探し、遺跡調査、そして、暗殺。まあ、普通に考えれば何でも屋といったところだが、なれてきたやつとか、それなりに名のあるやつには大きな仕事が回ってくるようになっている。俺もこの町の裏ではそれなりに名の通った方で、金持ちの護衛や難しい遺跡の調査なんかの仕事を中心に受けていた。
まあ、たいていこんな風に仕事をしているやつには二通りあって、パーティーを組んで安全且つ効率的にこなすタイプと、俺みたいに一人で気楽に気ままに依頼をこなすタイプとある。俺はそのほうが性にあってたし、俺と組むなんて物好きもいないんでそうしてきた。だから、俺にまわってくる依頼は一人でこなすようなものと決まってたわけだ。ところが今度は別のやつと組んでくれという。しかも相手は女だ。
……いや、女だからって馬鹿にしてるわけじゃねえ。こいつの名前は俺もそこそこ聞いたことがあったからだ。
『風の魔法使い(シルフィウィザード) レイア』
ただ、こいつが有名なのはアサッシン(暗殺者)としてで、俺とは畑が少々違うはずだった。
「仕事の内容はさっきも言ったように宝石の護衛だ。仕入れてから出立までの間護衛して欲しいってことだな。場所はアンフェリゴ別邸。報酬は二人で2万ガルド」
「2万っ!?」
ガルドは通貨単位だ。1ガルドで大体リンゴが一つ買えると思ってもらおうか。まあ、相場はいろいろあるがたった一晩の宝石の護衛には破格過ぎる値段と思ったらいいと思う。
「おいおい……大丈夫だろうな……?」
うまい話には必ず裏がある。
思わず疑いの眼差しを向ける俺にギルドの親父は頷いた。
「筋は間違いのないところだ。だが、レイアとセットで依頼を受けるというのが条件なんだよ」
「何で先方は俺とレイアの組み合わせに拘ってるんだ? 全然関係なさそうなもんじゃねえか?」
至極当然の疑問を口にしながら俺は足を組み、背もたれに身を預けた。親父は軽く咳払いをすると爪砥用のナイフを取り出し、自分の爪を削りながらカウンターにひじをついた。
「ファンなんだとよ」
「はぁあ?」
思いもしなかった答えに俺は目を丸くして親父の顔を見つめた。……決して愛の告白をしようってんじゃない。
「そこの縁のお嬢さんが冒険者マニアとやらでな。この町で1、2を争う腕前のお前さんたちにコンビでやって欲しいんだそうだ」
「はあ……」
思わずぽりぽりと頭を掻きながら俺は身を起こした。傍に立てておいたバスタードソードの柄ががちゃりと腕に触れる。
「『黒い稲妻』 レオナルド・ガストッシュのファンは多いと思うぜえ?」
媚びるような親父のその口調に思わず口元が緩む。
「え……そうか?」
にやつく口元を指で撫でて咳払いで誤魔化しながら親父を見るとぐい、と親指を立ててウィンクで応えてくる。
……親父のウィンクなんざ気持ち悪いがこの際目を瞑ろう。
「よっしゃ、その依頼受けた。俺はどこに行けばいいんだ?」
「アンフェリゴ別邸に明日の日没だ。よろしく。これは前金な」
ずっしりと入ったその袋の中身は1000ガルドは下るまい。俺は久々にいい気分でギルドを後にした。
「前祝だ、一杯飲むか」
「ラリサ、そういわないでさ、頼む。この通り!」
目の前で土下座するホッテンにあたしは自分の髪を弄りながらつーんとそっぽを向いた。
「やあよ。そんないかにも怪しげな仕事、向こうだって受けるとは思えないもん」
「いや…そこはほれ、こんな美女との仕事なら喜んで受けるって!」
「たかが宝石の護衛に一人1万ガルドよ? どう考えたって怪しいじゃないの」
「だからそれは依頼人の息子がお前のファンで……」
世の中そんなに甘くない。
こんな商売してればいやでもわかろうってものである。プロの何でも屋二人破格な値段で雇ってその内容が宝石の護衛じゃどうやっても怪しいがサンドイッチマンやって歩いてるようなもんである。
「受けてくれないと俺の首が飛ぶんだよぉおおおおおおお」
「ほーほーそりゃさぞや遠くに飛ぶことでしょーねー」
「ラリサーーーーーーッ」
しまいには号泣するホッテンにあたしは大概嫌気がさして頬杖をついて溜息をついた。
正直あたしがこの仕事に乗り気ではないのにはもう一つ理由があった。依頼主の一族、アンフェリゴのとある分家の当主が先だって暗殺された。そのときに屋敷が抱えていた不正が発覚して分家丸ごと消えてしまったのだが、その暗殺を請け負ったのはあたしなのだ。まあ、ばれているとは思えないが、気は進まない。本家はその莫大な財政力とこねでお咎めなしだったらしいが、分家に関わっていたものはかなり厳しい追及を受けたらしい。まあ、あくどいことをやって稼いだ一族だ。叩けば出る埃が一気に出たに過ぎない。とは言え、その一族からの依頼となるとやはりいい気はしなかった。
だが……。
降りかかる火の粉を払うのもプロの仕事と言えなくはない。あたしはまだ泣きながら土下座するホッテンの顔をつんつんと足の指でつついた。
「…わぁーったわよ。受けるわ。あたしはどうしたらいいの?」
「ほ…ほんとかぁあああ!? ごふぅ……」
「うっとーしー」
抱きつこうとするホッテンの頬に右ストレートを見舞って肩をすくめる。歯が折れたかもしれないが気にすまい。うん。
「と……とりあえずアンフェリゴ別邸に明日の日没に……」
「わかったわ。じゃあ明日直接向かってみる」
「恩に着るぜ。じゃ、そういうことで」
ほくほくしながら立ち去ろうとするホッテンの袖をあたしはつんと捕まえた。
「を、なんだ? 1発いいのか?」
やに下がった親父の目が期待に輝く。だがその鼻をピンと指で弾き、あたしはにっこり微笑んだ。
「ま・え・き・ん♪」
「は……はは……」
愛想笑いを浮べながら1000ガルド入りの袋を置いていったホッテンが部屋を出て行く。追加料金に泣いているのが聞こえたけど、まあ知らん。
「さて…それよりも……」
あたしは薄く扉を開けて小間使いの少女を手招きした。10ガルド握らせてお使いを頼む。
用心はいくらしてもし足りないのだ。特にあたしらみたいな商売は。
空の端にまだ太陽の名残が赤く色を残している。春の夕暮れはまだ風が冷たくて、自然と身画引き締まる。
金髪はポニーテールに高く結ってワンショルダーの黒いトップスに左肩だけのショルダーガードと胸当てはやはり黒く、固い皮をなめして幾重にも重ねたものを使っている。軽くて、音がしないからあたしの商売には向いているのだ。黒い皮のミニスカートに、黒い皮のベルト。腰にはシミターと細身のダガーがさしてある。だけど、あたしがメインに使っている武器はこれじゃあない。お尻に近いところに重そうにぶら下がっている黒い皮の袋。それがあたしの武器だった。
指定されたアンフェリゴの別邸は町のはずれにある。この町もそこそこ大きいから、町外れといっても結構歩く。だが、すでに敷地の一部には到達しているのか、さっきから延々と同じような塀があたしの右側を走っていた。これを辿っていくと正門に辿り着けるはずである。
「もう少しかな……あそこ、よね……。ん……?」
大きな門構えが見え始めたとき、そこにわりに細身の人影を見つけてあたしは一瞬眉を寄せた。
「もしかして……あれかしら……」
黒い稲妻(ブラックライトニング)。彼はそう呼ばれているはずだった。その仕事振りからものすごい大男を想像していたのだが、あれがそうだとすればどうやらあたしの見込み違いらしい。アッシュブロンドの髪は少々手入れが悪く、ぼさぼさとしてはいるもののさっぱりと短く、長身だが細身の体に黒いブレストプレートをつけ、バスタードソードと数本のダガーを腰にさしている。
仕事をしなれているのはその身のこなしでわかった。あたしの気配を感じてか、こちらが注目し始めたと同時にこちらを向いたのだ。その動きすら無駄がない。
「よう、あんたがシルフィウィザード?」
そのぞんざいな口調に思わず苦笑を漏らしながらあたしは近づいた。なるほど。ファンが着くのがわかるような風貌の持ち主ではある。
「そりゃどうだか知らないけど、ブラックライトニングの相棒をやれって言われてきたの」
肩をすくめるあたしに相手がにやりと笑った。すい、と右手を出し、彼は笑ったのである。
「レオナルド・ガストッシュだ。よろしく頼むぜ」
あたしは差し出された右手をちらりと一瞥して門に向かった。手は、握らない。
「レイアよ。こちらこそよろしく。とりあえず行きましょ? 目一杯怪しい依頼人のところへ」
「お前さんも怪しいと思うわけか?」
声は、真後ろから聞こえた。
「!?」
門を開けて中に入るあたしの頭上から声がする。背が高いからそれは当たり前なのだろうがいつの間に真後ろを取られたというんだろう?
この男、かなりできる。見た目はスケベったらしそうだけど。
「……そりゃね。単なる宝の番で10000ガルドはちょっと気前良すぎるかなあという気がするわ」
気を取り直して中に足を進めながらあたしは答えた。
その一方でいやな予感が膨らんでいく。この依頼、絶対裏がある。
お金持ちのお約束としてやたら遠い玄関にやっと辿り着くとあたしたちは呼び鈴を鳴らした。中から執事らしき老人が出てくる。
「宝石の警護について依頼を受けたのですが……」
そういうとあっさり中に通され、応接室と思しきやたらと豪華な部屋に連れて行かれた。依頼人が来るまで待たされる間思わず中のものを物色してしまうのは習慣だろうか。
そこでふとあたしはちょっとした事に気づいてしまった。
「……あら?」
「どうした?」
思わず声に出してしまったあたしにレオナルドが問い掛けた。だけどあたしは首を振る。不用意なことを口にするわけにはいかない。
「なんでもない」
「…猫糞するなら目立たないものにしとけよ?」
「やんないわよっ!!」
……こやつ。
ふるふると震える拳を握り締めながらレオナルドを睨みつけていると応接室の扉が開いた。慌てて居住まいを正したあたし達の前に、やたら豪奢なドレスを着た、いかにも『お姫様』な女性と、かなーり派手派手な『おうぢ様』的勘違いな格好をしている若い男が現れた。
いや……いいんだけど……今時そのちょうちんブルマってどうよ……。
「ぶ……」
「笑うな、レイア。俺も我慢してるんだ……」
「だ……だって……あれって……」
ひそひそと必死で笑い出しそうな口元を押さえながらレオナルドとひそひそ会話を交わすあたしたちをよそに二人はとても丁寧な会釈をして向かいのソファに腰掛けた。慌てて笑いを飲み込んであたしたちも会釈する。
「依頼を受けました、レオナルド・ガストッシュです」
「オナジク、レイアデス」
……ぎこちないのは見逃してちょーだい。
が、次の瞬間あたしたちは二人そろって固まってしまった。
「きゃぁあああああああああんん♪ お兄様、夢にまで見たレイア様とレオナルド様ですわああああああああvvvv」
きー…………ん…………
くわんくわん響く頭の中を何とかリセットしようとしながらレオナルドを横目で見ると、彼も同じように頭をゆらゆらさせながら目を回しているのが見えた。
…まさか敵は依頼人か!?
思わず馬鹿なことを考えながらあたしは耳をほじほじしつつ愛想笑いを浮べた。
「妹よおおおおおおおおお♪ よかったなああああああああっ!!!!」
………くぉー………ん……
お前もか。
手に手を取り合って喜び合う兄弟を前にあたしは「どやかましいいいいい!!」と怒鳴りたいのを必死で堪えて引き攣る愛想笑いを浮べた。
「あ…あの……お仕事の話をしてもよろしいでしょーか?」
「はっ! ついあなた方にお会いできた感動の余りにそのことを忘れてしまうところでしたわぁああああああああvv なにせそれが最大の目的だったものですからぁああああああああ♪」
……おひ。
「妹よ、これだけで20000ガルド払ってもいいくらいだよなあああああああ♪」
「ぢゃ、そういうことで。報酬は仲介人に渡してもらったらいいんで……」
「お、おい、レイア!?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、待って下さいぃ!!」
すがりつく姫君を引きずって2,3歩歩いたところであたしはようやく止まった。
……まぢで貰って帰るぞ、おい。
再びソファに座りなおしたあたしに安心したのか再び二人の視線が潤み出す。
「ああ……しかし憧れのお二人にお会いできるなんて……兄さんっ!! あたしたちはなーんて幸運なんでしょおおおおう!!」
「そうだなああ!!! 妹よぉぉぉおおおおおお!!!!」
タンッ
『ひぃ!』
さすがにあたし達の冷たい視線に気がついたのか、兄妹は慌ててあたしたちのほうに向き直った。
その兄妹の背後の壁に突き立ったダガーが震えている。あとで回収しとかなくっちゃ。
「お……お仕事のお話でしたわよね」
「そ……そうだよ。依頼の話だった」
「……きょーぼーだなあ……」
最後のレオナルドの呟きは無視してあたしはにっこりと微笑んだ。
「そう、お仕事です♪」
仕事は実に簡単なものだった。大広間に安置してある宝石箱を明日の早朝、引き取りにくる馬車が来るまで警護してほしいというもの。大広間は20m×15mほどの広さで、縦に長い大きなテーブルが中央に鎮座ましましている。太い円柱型の大理石の柱が部屋の左右に5本ずつ立っていて、いかにも金持ち趣味っぽい。宝石箱の大きさは30cm×30cmほどで、そのテーブルの中央においてあった。高い天井の途中には二階の位置にぐるりと廊下が部屋を囲むようにあり、二階へのドアは2つ。この大広間への扉は3つ。そして、部屋を照らすのは手持ちのろうそく、2本。
確かに広い分、二人いればカバーは十分だとは思うけど。それでも二人もいらないように思える仕事の内容だった。
だが……。
「いる、な」
時間はすでに真夜中を回っているだろう。レオナルドの言葉にあたしは頷いた。
「そーね。」
鷹揚に返事して凭れていた椅子から身を起こすと腰に手をまわす。
殺気が一つ、二つ……合計5つ。そして。
「そこっ!」
ダンッ!
「ぐぇっ」
断末魔と共に柱の影にいた男が喉のダガーを押さえて崩れた。
「ここ、お願い。あたしは他やってくる!」
「任せろ!」
すでにバスタードソードを抜き放ったレオナルドに声をかけるとろうそくの1本を吹き消してあたしは手首に仕込んであったワイヤーを引っ張り出した。
ひゅんっ
ワイヤーは見事に二階の廊下の手すりにかかり、あたしはそのまま身軽に2階へと上がる。そのまま柱の影に身を寄せるようにしてダガーを構える男の後ろに忍び寄る。
ごすっ
なんとも言えない鈍くくぐもった音がして男はそのまま柱にもたれるように崩れた。構えたダガーでその首を掻き切り、止めを刺す。
続いてレオナルドの背後から忍び寄ろうとしている男の背後に飛び降りて再び頭部を殴打する。同時に、レオナルドが目の前の3人目を片付けたところだった。
「ブラックジャックが獲物か……。ずいぶん地味な獲物だな」
「暗殺者が派手ってわけにもいかないでしょ」
そう、あたしの武器はブラックジャックだ。皮袋に砂を詰め込んだこの単純で地味な武器は、実はかなり恐ろしい威力を持っている。よくて脳震盪。使いようによっては頭蓋骨陥没。あたしはこれでしとめたあとにワイヤーで首をしめるかダガーで止めを刺すことにしている。
「でも、あっけないわよねえ……?」
「だな」
疑念が胸に膨らむ。レオナルドも同じなのか、腑に落ちなさそうな顔で頬を掻いていた。
そのとき。
ドォオオオンッ!!
「な、なにっ!?」
轟音が響き、屋敷がゆれたかと思うと再び静寂が訪れた。だが。
「……焦げ臭い。まさか、火薬っ!?」
慌てて手近のドアに駆け寄るとあけようとする。だが。
「開かないっ!?」
あたしの言葉にレオナルドも別のドアに駆け寄って扉をがんがん押したり引いたりする。
「……まさか」
あたしはテーブルの上の宝石箱にかけより、鍵開けのツールを使って開錠すると蓋を開けた。
「何だって!?」
レオナルドの驚愕の声が間近に響く。宝石箱の中身は空だったのだ。その宝石箱もあたしの見立てではたいした値段ではない。つまり、誰かがこの屋敷を使ってあたしたちをはめたのだ。
「ともあれ逃げるぞ!」
「意義なし!」
周囲を見ても窓はない。レオナルドは手近なドアのひとつに駆け寄るとそのバスタードソードを軽く振るった。
「なにやって……え?」
軽く振るったようにしか見えない。なのに、ドアは見事に両断されて、その向こうの劫火が姿をあらわした。
「くそっ。油を撒いたな!?」
もはや炎は余すところなく建物を焦がそうとしていた。その中でかすかに油を焼くつんとしたにおいが鼻を突く。
「任せて!」
あたしはレオナルドの前に立ち、炎をにらみつけた。
「任せてって、どうするんだよ?」
シルフィウィザードの二つ名は伊達じゃない。あたしは左手の中指にはめたエメラルドの指輪をかざし、意識を集中した。
「ウィンドストーム!!!!」
ヒュ……シュゴオオオオオオオオオ……バコオオオオオオッ!!
「うあっ……」
炎にあおられた熱風が巻き起こったかと思うと、炎の中を風が突き抜け、その向こうに見えた扉を突き破ったのである。そこに見えるのは夜の闇。
「行くわよ!!」
「おう!!」
走り出したあたしの後に続いてレオナルドが走る。
こうして、あたしたちは何とか無事に屋敷から脱出したのだった。
「いったい誰が……」
つぶやくレオナルドに向き直り、あたしは一瞬で呼吸を整えた。
「ここで解散しましょ? 目的があたしたち二人なら別れていたほうがいいわ。」
それに気になることもあった。あたしはそれだけを言うと返事も待たずに駆け出した。
「って、おい! 待てよ!」
駆ける、駆ける、駆ける。
あたしを呼び止めるレオナルドの声は徐々に遠くなり、消えていった。